コメントすること(自戒を込めて)

http://www.furukawamiki.jp/blog/2006/03/2006_03_08.php(3/8)
http://www.furukawamiki.jp/blog/2006/03/2006_03_13.php(3/13)

色んな人が見ているので、中には意味が分からなかったり、共感しない人ももちろんいると思いますが、スルーすればいいだけのこと。
なので「共感しない」と言われても、こっちはどうしようもないな。特定の誰かを満足させる為に書いてないので。
それと私は共感を得たとしても、優越感に浸るタイプでもありません。


この一連のやり取りをみていて、一ファンとしてすごく脱力感を感じてしまった。まず、ある程度有名な人がブログという場を通じて、ファンとコミュニケーションを図ろうとすること、そのこと自体はすごいことだ。例えスタートしてもこうゆう些細な意味の取り違いがきっかけでコメント欄が外されることも良く目にする。そして、僕がここにこうゆうことを書くのも何かしら影響を与えることになりかねない。ただ、それなりの意味はあるはずだしあって欲しいという前提で書かせていただく。
このやり取りで僕が何を問題視したかは実は冒頭書き出した部分に深く関わっている。端折ってゆうと
『書き手・読み手ともにこのブログを閉鎖させまいという一心でコメントしている』こと。(補足するとこのブログは書き込み段階で軽い検閲がかかっていて、中傷のみを意図したような発言は掲載されない。因みに言うと、「君たちの言うこと、理解できないよ」程度であれば許されるということは確認済み。一応、大学生というHNでコメント付けてます)
いちいちファンの盲目的なコメントに目を通さなきゃならない(それがファンにとっての最高の賛辞であっても)のは表現者にとっても大きなリスクだ。書き手に自己弁護って形であんなにも長い追記をさせてる時点で、このブログ長くねーなと他人事のように思ってしまった。
で、3/13付の追記の部分を読んで、正直僕はフルカワさんの言わんとしている事がまったく見えてこなかった。むしろ問題を複雑化しているとさえ思った。そんなつもりじゃなかったってゆう、センスという言葉の定義から始まって自分はこうゆうところにセンスを感じるって話を挿み、デニムの話は一例に過ぎないんですよ、てことを強調しながらわかりづらくてゴメンナサイネで終わるのかと思いきや、読みたくねえなら読むなよ!その代わりコメントもするなよな!!ってそりゃあないですよミキちゃん!?!
3/8の記事は誰の目から見ても本人の考え方を押し付けるものだが(そこが彼女のいいところだし、あくまでもメディアを前にした本来の姿なんだろうなと3/8時点ではそれだけを感じた)、かといって表現者としてあの程度の波紋が起こることは当然視野に入っていなければならないし、一度した発言には責任を持って補足するべきだと思う。で、ミキちゃんの劣勢と見るやファンは大挙してミキちゃん弁護を始めようとしてあのように「わかる、私はわかるよ負けないで!」てゆう内容のコメントを我も我もと送りつける。3/13付のコメントの中には「いちいち責任を取ろうとする  そんな律儀なあなたが好き」なんてのもあって、正直愕然とした。全然わかってねえなあコイツである。
フルカワさんは、ある特定の人たちに絶大な影響力を持っていて、カリスマって呼んでも良いのかもしれない。そうゆう人を取り囲む過剰反応としてありがちと言ってしまえばそれまでだし実際そうゆう目線でコメントしている人もいて、それはむしろ健全な方だと思う。さっき、盲目的という言葉を使ったけど、フルカワさんの発した「わかる人だけわかればいい」てゆうメッセージを曲解して正に拡大解釈して、自分と似たようなコメントを目にするや俺も私もってゆうのはすごく客観意識にかけた行動だし僕自身も含めてネット上では特に控えるべき行動だと思う(ここ誤解を招きやすいとこだと思いますが僕はネットマナーにまで言及する意図はありません)。スーパーカーファンてどちらかといえばマイノリティだから理解されない人たちの鬱積された欲求の捌け口のためにコメント欄が汚されていってる感じがして、それが自分と同じ人を好きな人たちの発言だったから尚更、脱力感を感じてしまったんだろう。
でもね、やっぱり自分の言いたいことは多少波風立てても素直に言ってもいいと思うんですよ。この全てを丸く丸く治めようってゆう意識の働きが、今まで自分なりに正しいことをしてきたってゆうフルカワさんの自負や個性を冒涜するもののような気がして残念に思えた。